蒲生氏郷の生誕地!滋賀県蒲生郡日野町の近江日野中野城(日野城)跡
滋賀県蒲生郡日野町の近江日野中野城は、蒲生氏の城跡であり、蒲生氏郷の生誕地といわれている場所です。(日野城とも)
天正十年(1582)の本能寺の変後、蒲生賢秀が安土城に残っていた織田信長の家族を退去させた場所が、この日野中野城といわれています。
歴史的にも有名な日野城というのが、この日野中野城で、江戸時代には陣屋が置かれた場所でもあります。
現在は城跡なのですが、見るべきものはいくつかあるんです。では詳細をチェックしてみましょう!
蒲生郡日野町西大路2869
まずは縄張り図をチェックしてみましょう!現地看板にある近江日野の歴史第二巻(中世編)の縄張り図です。
これを見ると日野川ダム建設によって大半が失われてしまいましたが、城の中心部が残っていることが分かりますね。
現地看板によると、かつての日野城の規模は縦8丁(約872m)、横6丁(約654m)の広大なものでした。
※1丁=109mで計算
その敷地内に家臣団の館もあったといわれています。
城の外にある蒲生氏郷(がもう うじさと)の産湯井戸です。
もともとは城の水源だった井戸なのでしょう。現在では塀で囲われて石碑が建っています。
氏郷は氏郷は弘治二年(1556)に蒲生賢秀の三男として生まれました。後に織田信長の次女と結婚し、豊臣政権では会津91万の城主となります。
まずは縄張り図にも記載されている堀ですが、この大きさ見てください!
約30mある大堀。江戸時代に日野中野城跡に陣屋が置かれているのでその頃のものでしょうか?
こちらは城跡の大半を飲み込んでしまった日野川ダム。かつての城跡のほとんどが湖に消えてしまいました。
城の中心部には稲荷神社と涼橋神社が建立されています。この2つの神社がある場所が、かつての土塁跡です。
土塁の側面を見てみると…ありました!石垣です。
残念ながら戦国時代のものではなく江戸時代に築かれた石垣。
また魅せる石垣ではなく、土塁と土塁の間が道になっていることから、土留めの石垣だと思います。
土塁の上にある涼橋(りょうきょう)神社。江戸時代にこの地に陣屋を置いた市橋氏によって建立された神社です。
土塁前にある堀跡。現在は水堀ですが、向かい側にも堀があり、その2つの堀で挟み込むことで土橋を作っています。
これがその土橋(どばし)。
土橋とは、左右に堀を構えた防御の工夫で、攻めてくる敵の横展開を防ぎ、強制的に縦に絞る効果があります。
そこを横や正面から攻撃するワケです。
日野中野城の所要時間は約30分もあれば一通り見て周ることができると思います。
私の感想ですが、城跡の大半はダムに飲まれている状態ですが、堀、土塁、土橋、石垣が残っているので、これらは見応えがありました。
あと蒲生氏郷も人気が高い武将なので、その氏郷の産湯井戸というのも貴重な遺構ですね。
所要時間を考えると、近くにある日野音羽城とセットで巡るのがオススメです。
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