坂本城とセットにしたい移築門がある西教寺、来迎寺の見どころはココ!
【坂本城レポ3/4】
坂本城とセットにして巡りたい2つの寺院があります。それが西教寺と来迎寺です。
まずは西教寺ですが、西教寺の見どころは、坂本城の移築門と明智一族の墓です。
こちらは西教寺の参拝者用駐車場。大型バスも停める事ができます。
これが西教寺の総門で坂本城の移築門。城内のどこにあった門かわかりませんが大きな門です。
昭和59年に老朽化が進み修理されましたが、形をそのままにして復元されました。
静かで美しい境内です。
斜面を登りながら奥へ進みます。
境内には登録有形文化財の建物もあり、見ているだけで圧倒されますね。
私は建物の構造の事は詳しくわかりませんが、こういった建物の構造がわかると、いろいろと楽しめるのでしょうね。
さらに進んで墓地に着くと、明智一族の墓がありました。
なぜここに光秀の墓があるのかという理由ですが、織田信長による比叡山焼打ち後、坂本の町や寺院を復興したのが明智光秀で、西教寺もそのひとつでした。
それ以後、西教寺と光秀のゆかりは深く、坂本城落城後に光秀と明智一族が西教寺に葬られたといわれています。
こちらは光秀の妻・煕子(ひろこ)の墓。細川ガラシャの母ですね。
濃州妻木(明智)一族の供養塔もあります。
妻木氏と明智氏のゆかりは深く、光秀の妻が妻木氏出身といわれています。
次は聖衆来迎寺レポですは、見どころはここも移築門と森可成の墓です。
来迎寺の門も坂本城の移築門といわれています。
城内のどこの門だったのかわかりませんが、西教寺と比べると少し小さな気もしますね。
余談ですが、私が住んでいる愛知県も犬山城や岡崎城の門が寺院や民家に移されていて、見学できる様になっています。
私は城門の事はあまり詳しくないですが、これらの門は修理もされてきたと思いますが、こうやって数百年残っているのはスゴイです。
これが森可成の墓。
森可成は織田信長の家臣で、森長可(鬼武蔵)や森蘭丸の父です。
森可成は比叡山焼き討ちの前年の元亀元年(1570)に、織田信長の命で宇佐山城(現・大津市近江神宮付近)を築城し、当時織田家に敵対していた浅井・朝倉連合軍と戦っていましたが、ある戦で聖衆来迎寺付近の比叡辻で戦死しました。
来迎寺は比叡山側の寺院なので、森可成はいわば敵方でしたが、当時の住職・真雄は、森可成の遺体を夜間密かに運び込み境内に葬ったそうです。
そして比叡山焼打ちの時、信長の命で比叡山延暦寺をはじめ、坂本にある寺院はことごとく焼かれましたが、来迎寺は【森可成を弔い、墓を建ててくれた寺院】ということで、信長から焼打ちされずに済んだそうです。
坂本城からは少し距離があり、歩いて行くとかなり時間がかかりますので、車で行きたい2つの寺院です。
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