坂本城に行ったらチェックしておきたい周辺の坂本城ゆかりの史跡
【坂本城レポ2/4】
かつての坂本城は住宅地、商業地になってしまいましたが、坂本城址公園周辺は、城があった時代の遺構が点在しています。
また坂本城ゆかりの史跡もチラホラあるので、城址公園行って終わり!というのはもったいないです。
ではどんな史跡があるのか?この記事ではそんな坂本城周辺の史跡をチェックしてみたいと思います。
周辺を散策してみると、次の様な史跡がありました!
- 坂本城の石碑
- 東南寺
- 本丸跡
- 明智塚
- 旧大道町
- 旧酒井町
- 酒井神社と両社神社
では順番にチェックしてみます!
まずは坂本城の石碑。
坂本城二ノ丸といわれた東南寺のすぐ近くにあります。
この石碑があると、城の入口という感じがしますね。
石碑のすぐ下を見てみると…
え?墓碑?
実はこの辺りは古い墓碑がちょくちょく発掘されるそうで、なぜ出てくるかわからないのですが、比叡山延暦寺も近いので関連がある墓碑なのかもしれません。
東南寺は坂本城の二ノ丸といわれる場所に建つ寺院で、もともとは延暦年間(782〜806)に延暦寺の東南の戸津ヶ浜にあったので東南寺といいます。
現在でも毎年8月に比叡山延暦寺の高僧による説法が行われることで有名です。
境内にはこの周辺から出土した墓碑をまとめて祀ってありました。
坂本城の本丸跡は、民間企業の建物が建ち、中に入る事はできません。
門の前に坂本城本丸の碑があるのでさりげなくチェックしましょう。
ちなみに観光パンフや歴史本などによく出てくる琵琶湖面の石垣はこの本丸の奥なので、一般の人が見る事はできないのです。
本能寺の変後、坂本城落城の時に明智光秀の愛刀脇差・郷義弘(ごうのよしひろ)や宝物を埋めたといわれる塚。
もしくは明智一族の墓とも。
この場所もかつての坂本城内で、毎年6月に地元の方によって供養祭が行われているとか。
今回の坂本城周辺の史跡巡りで一番探すのが困難だった明智塚。
それもそのはず、民家の敷地にあり、周辺の景色にすっかり溶け込んでいるため、観光パンフに載っているにも拘わらず、なかなか探せませんでした。
最後は子守りしているお婆さんに尋ねたら、現地まで案内してくれました(感謝!)
坂本城は本能寺の変後、落城しましたが、その城下町機能は大津城へ移転しました。
その時、坂本城の堀を埋めて北国に通じる大道という街道を整備した事から付いた町名です。
現在では、ゆるやかなカーブを描いている道ではあるものの、旧街道の雰囲気が残っています。
昔、この地の地面を掘ったら酒が湧き出てきたそうで、村人はこれを吉例と喜び、現在の酒井神社を建立したそうです。
そしてその前の町の名前を酒井町と改めました。
その後、酒井神社は現在地に移転されましたが、町名も変わりましたが、石碑が建っています。
まず酒井神社ですが、創建は弘仁二年(810)と古く、現在の本殿は元和六年(1620に広島藩主・浅野 長晟(あさの ながあきら)によって建立され、県指定文化財になっています。
次に両社神社は創建が元仁年間(1224〜25)といわれ、高穴穂(たかあなほ)神社の祭神を酒井神社の旧境内に勧進したのがはじまり。
この両社神社にも浅野長晟が建立した本殿があり、県指定文化財になっています。
もうひとつチェックしておきたいのは、2つの神社が建っているこの周辺は、坂本城の二ノ丸と三ノ丸の境目でした。
つまり城内ですね。
こうやって歩く事で、かつての坂本城の規模もわかります。
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