城の抜け穴って本当にあった!蒲生氏の居城・近江日野音羽城跡
滋賀県の近江日野音羽城は、蒲生氏郷の先祖である蒲生秀綱、あるいは貞秀によって築かれた城です。
築城は応仁元年(1467)頃。
明応五年(1496)、文亀二年(1502)に籠城戦で勝利した歴史があります。
大永二年(1522)、同族争いにより攻められ、約500の兵で8ヵ月持ちこたえるも開城し、その後廃城となりました。
そして蒲生氏は日野中野城を築き本拠とします。
日野音羽城は中世の山城の遺構を色濃く残し、巡りやすい城なので私もオススメです。
では城内の見どころポイントをチェックしてみましょう!
蒲生郡日野町音羽199
まずは現地看板にある縄張り図をチェック!これは現在残っている遺構です。
いくつかの曲輪で構成されていますね。
忘れてはイケナイのが入り口にある資料。地元の方が用意してくれたものです。
これは無料で頂けますので、必ずチェックしておきましょう。
縄張り図にある、武家屋敷跡と出曲輪をチェックしてみます。
城内にはいくつかの案内看板があり、それに沿って進むと分かりやすく巡ることができます。
武家屋敷跡にある水源地。井戸の跡ですね。ちなみに今でも湧いています。
音羽城は本丸にも井戸があり、水が豊富だったことが分かります。
看板にもあるように、音羽城は計3回の籠城戦を経験しているのですが、この水が豊富という点が籠城するのに適した城だったということでしょう。
武家屋敷跡の堀切跡。豪快に残っています。
案内看板にある出曲輪跡。現在は阿賀神社が建立されています。
出曲輪跡周辺には土塁も少し残っています。
かつては曲輪周辺を土塁がぐるっと取り巻いていたのでしょう。
かつての本丸は現在広い公園になっています。
縄張り図をよく見てみると、現在公園になっている敷地内に本丸、二の丸、南丸があった様ですが、現在では区画がよく分かりません。
要チェックの本丸井戸。城主の奥方が最後を遂げた井戸という伝説も残っています。
さらには後に説明する抜け穴と繋がっているという説もあるんです。
本丸の東側にあります。
本丸を抜けて別の曲輪に移動中、土橋(どばし)を発見しました。
両側に空堀があり、築城年代からするとキレイな形で残っています。堀はもっと深かったのでしょうね。
目立つ土塁が2つありました。櫓台跡と説明があります。もしかするとここに門があったのかもしれません。
そしてこれが抜け穴。
音羽城には、昔から抜け穴があったという伝説が残っていたのですが、昭和33年に偶然発見されました。
調査の結果、この地点から西へ曲がり本丸の方向へ向かっているのだとか。
逆に言えば本丸から東の方へ抜ける穴でもあります。
城の抜け穴伝説は各地の城にありますよね。
例えば私が住んでいる愛知県では、名古屋城や岡崎城にも抜け穴伝説があり、非常事態の時に城主が逃げる場所になっていました。
音羽城も計3回の籠城戦がありましたので、この抜け穴もイザという時の非常口だったのでしょうか。
音羽城の所要時間は約1時間もあれば十分に周ることができると思います。
また私の感想ですが、山城なのに比較的登りやすく、遺構も分かりやすいのでオススメの城です。
入り口にある資料は、たまに品切れになっていることもあるみたいなので、こればかりは時の運ですね。
そして注意点ですが、訪れやすい城ではあるのですが、やはり夏はキビシイかもしれません。雪が降っていない冬に訪れれば、草木も枯れているので遺構も見やすいでしょう。
関連記事はこちら!
- 蒲生氏郷の生誕地!滋賀県蒲生郡日野町の近江日野中野城(日野城)跡
- 蒲生氏郷の生誕地といわれる滋賀県蒲生郡日野町の日野中野城(日野城)跡のレビュー記事です。アクセス方法や現地の石垣、堀、石碑などの現状と私の体験した感想を書いています。
- 道の駅竜王かがみの里を拠点に楽しむ源義経元服地と鏡神社
- 滋賀県竜王町にある道の駅竜王かがみの里の近くに源義経の元服地と鏡神社があります。この記事では道の駅を拠点に楽しむことができる史跡についての説明と私の感想を書いています。
- 中山道を見下ろす鏡氏の居城・滋賀県の近江星ヶ崎城跡
- 滋賀県蒲生郡竜王町の近江星ヶ崎城跡の体験レビュー記事です。星ヶ崎城のアクセスから駐車場情報、トイレ休憩や案内をはじめ、石垣が残る城内の見どころや感想を書いています。